7ドリーム

 

はじめまして。

吉髙弘明(きったかひろあき)と申します。

 

このサイトでは僕の経験したこと、

その時に感じたことを中心にお伝えしています。

 

なのでもしかすると

 

「ちょっと変じゃない?」

 

と感じられることもあるかもしれません。

それは僕と言うフィルターを通して発信しているので、

世間一般的な情報とは違いが出てしまうからです。

 

ですがその分、実体験のリアルをお伝えしています。

それ以外のことは経験がないのでむしろお伝えできません。

それでも読んで頂けるあなたの心に響くようお伝えしていきます。

簡単ではありますが僕の経歴をお伝えします。

 

人生でたった一度だけ正社員を経験した会社

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僕は高校を卒業して専門学校に進学しました。

テレビゲームが好きでゲーム会社に就職したかったのです。

3年課程でゲームプログラミングコースに入りました。

 

ですが1年間通って自ら中退しました。

理由は僕の家は経済的に苦しかったらかです。

2年次の更新をする時に次の授業料を支払わなければいけません。

母親が消費者金融と兄から借りた86万円のお金が入った封筒を手にした時、

 

「これ以上はやってはいけない」

 

と思ってお金の入った封筒を母親に返しました。

専門学校を中退して車の免許を取りました。

そしてその後はフリーターになりました。

 

深夜のコンビニ、宅配業者の仕分けなど、

数ヶ月続けては辞めてを繰り返す生活をしてました。

こうしてアルバイトを転々とする日々を過ごして、

二十歳になった時に遂にニートになって引き籠りました。

 

何もしないただテレビゲームをするだけの日々・・・

だけど自分は何がしたいのかどうすればいいのか分からない・・・

ただ空しく時間だけが流れていく中で、

 

「思いっきり身体を動かして働きたい・・・」

「社会に役に立つことをしたい・・・」

 

こんな思いが沸いてくるようになりました。

人と言うのは仕事で精神的に辛いと解放されたいと望み、

何もない状態だと逆に社会貢献したいと望むもののようです。

 

それから二十歳になって7月の暑い季節が訪れ、

母親の働いている会社に母親に紹介してもらって、

晴れて就職することができました。

 

この会社が僕にとって人生で唯一、

正社員として働いた会社になりました。

 

ですが入社して3日後くらいすると

もの凄く強い後悔を感じたのです。

あまりの精神的なプレッシャーに負けそうなり、

 

「もしかしたら辞めるかもしれん・・・」

 

母親に弱音を吐いたことを今でも覚えています。

ですがそのことを伝えた瞬間に母親の姿を見て、

落ち込んでいたのを見てしまったので、

 

「これじゃいけん!頑張らんといけん!」

 

そんな気持ちになりました。

そこから何とか気持ちを持ち直しましたが、

この会社は養鶏場と言って鶏を飼育する会社でした。

また鶏が産んだ卵を商品化して出荷もしてました。

とにかくこの会社は、

臭い

汚い

忙しい

 

最悪の三拍子揃っていた会社だったのです。

結局僕は1年2ヶ月しか持ちませんでした。

 

フリーター生活に戻って辛い日々の連続

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僕が会社を辞めることを決めたのは、

会社での劣悪な環境に精神的に耐えられなかった・・・

というのもありますがそれだけではありません。

 

その時には既に母親は退職しており、

姉と一緒に実家を出てしまったからです。

僕の家では昔から家庭環境が悪かったのです。

そしてこれがきっかけで家庭崩壊しました。

 

その後の僕はフリーターに戻りました。

深夜のコンビニ、2tトラックの運転手など、

アルバイトを転々とする日々を送ってました。

他にも派遣社員ならバイトよりマシだと思い、

ジーンズを作る製造業の会社に入社しましたが、

一緒に働くことなる人間が嫌で3日で辞めました。

 

けどもっと酷かったのはトラックの運転手。

この仕事では理不尽に精神的な苦痛を味わいました。

主に食品を配送する仕事だったのですが卸市場から、

スーパーや個人商店など小売店に配達してました。

 

けどあるスーパーで全く理由が分からないのですが、

何故か初日からシカトされはじめたのです。

 

本来なら納品された商品は店員が陳列しますが、

ここでは配達した人間が直接陳列していました。

 

陳列する前に店員に声を掛けて、

納品書にサインをもらわなければいけませんでした。

 

「サインをお願いします!」

 

と僕が訪ねると空気しか存在しないかのように、

全く相手にしてくれないのです。

 

唯一オーナーだけがまともに相手してくれたて、

それだけは心が救われましたが、

この時の精神的な苦痛から1ヶ月で辞めました。

 

「アルバイトすらまともに出来ないのか・・・」

 

理不尽な被害を受けたとはいえ、

自分が情けなくて嫌になってしまいました。

 

何の取り柄のない自分が、

正社員として雇ってくれる会社なんてない・・・

最初から諦めてたし、自信もありませんでした。

 

それに自分のやりたいことが全く分からなくて、

未来に希望がない現状は途方もなく辛かったです。

 

人生で唯一楽しかった仕事を経験する

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しかし22歳になった翌年の5月、

僕はある古本屋で1枚の紙を目にしました。

それはアルバイト募集の案内でした。

 

「こんなところで働けたら楽だろうなぁ」

 

そんな緩い雰囲気が漂っていて、

そこで働いている人達があまりに楽しそうで、

憧れの芸能人を見てるかのように羨ましかったです。

 

なので僕は番号をメモって早速応募しました。

そしてなんと内定をもらうことが出来たのです。

 

「やったぁ!これで安泰だ!」

 

この時の僕は今までが辛かったの感極まる思いでした。

たとえ給料が安くても心穏やかに仕事が出来るなら、

他に何も要らないっていうくらいだったのです。

 

ただここは古本屋ではありませんでした。

実は店の奥には18禁の商品を取り扱っていて、

アダルト系のグッズやDVDがメインの店だったのです。

 

ですがこれまでの苦しさを考えれば、

僕にとっては全く関係ありませんでした。

 

このアルバイトは正解でした。

精神的にも仕事的にも非常に楽でした。

そして仕事仲間も同い年や2つ上の先輩など、

自分と似たような境遇の人達ばかりです。

 

話しも合うし仕事は楽しいし言うことありませんでした。

結局この楽なフリーター生活を約6年近くも送りました。

ですがそんな日々も何れは終わりが来ます。

 

最も辛かった7年地獄の始まり

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理由は歳が2つ上の先輩がいたのですが、

その人が会社の正社員になって店長になったことです。

そこで今までの関係が崩れて確執が起きてしまいました。

 

直接に言い合うことはなかったものの、

陰ではお互いに嫌うようになり罵り合ってました。

 

それに僕自身もフリーターのままでは、

今後の生活が不安で将来性を危惧してました。

なので思い切って辞める決意しました。

 

そこから1年ほどアルバイトを転々としました。

その時は実家を出て一人暮らしをしていたのですが、

収入がなくなってしまったので実家に戻りました。

実家には父親がひとりで生活をしていたのですが、

仕事を辞めて戻った時は酷い罵声を浴びせられました。

 

「何しに帰ってきたんならぁ!!」

 

あの時の言葉は今でも忘れません。

洗濯、台所、風呂、トイレは使えませんでした。

寝る以外の全てのことは外で済ませてました。

 

なので生活費の為に借金をしなければいけない状態で、

当時は電子マネーをクレジットで購入して、

コンビニの菓子パンを食べて飢えを凌いでました。

 

クレジットは分割払いにしておくと、

金額に応じて支払額が上がってしまうので、

リボ払いにして何とか耐えていた状況でした。

そんな当時にやってた仕事は、

  • 深夜のコンビニ
  • 宅配の仕分け
  • 自販機オペレーター
  • ファーストフード
  • 鉄工所
  • ネットカフェ
  • 造園会社
  • 宅配の集配
  • 製造業の臨時社員

 

こんな感じでアルバイトの掛け持ちでした。

何とか日銭を稼ぐ日々が送っていました。

 

生活費の為に借金をしてましたが、

実はそれだけではなく車のローンも残ってました。

2つを合わせて総額で300万近くあったと思います。

 

「このままではらちがあかない・・・」

 

残酷な現状に途方もなくやりきれない思いでした。

このままだと楽になることは一生ないとすら思えました。

これが7年地獄の最初の1年間でした。

 

辛かった実家生活を何とか終える

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期間限定のアルバイトしか出来なくて、

それでは次から次へと仕事を探さないといけなくて、

収入としても全く安定のない状況でした。

 

そこである程度は先を見越した計算が出来るように、

製造業の派遣社員になることを決めたのです。

 

理由は社会保険や年金などの保証もそうですが、

何より正社員としての可能性があるからです。

そうすれば将来の不安は解消されると思ってました。

 

けど実際は人を集める為の方便であって、

正社員になれる可能性は極めて薄いのが事実ですが、

無知な僕にはそんなことは分かりませんでした。

 

とは言え派遣社員の給料は高額でした。

はっきり言って時給が高いから決めてました。

後は電子部品関係の製造業は楽なイメージもありました。

つまり楽して金儲けが出来ると思っていたのです。

 

月に100時間近くの時間外をやって、

手取りで30万近くありました。

確かに土木系などの肉体労働と比べると、

身体的には遥かに楽ではありました。

 

お陰で借金は全額返済することが出来ました。

そして残った貯金を使ってまた一人暮らしを始めました。

それまでに掛かった期間は4年ほどでした。

 

炊飯器で炊いた米、

自由にトイレは使えるしシャワーも浴びれる。

ひとつひとつの当たり前の生活に、

最初は感動と興奮の連続でした。

 

「うわぁ、今最高に幸せだ~!」

 

1人暮らしをはじめた頃は、

やっと人間らしい生活を取り戻したと思いました。

 

苦痛だった実家での暮らしを4年で離れることができ、

7年地獄の前半はこれで一旦一区切りがつきました。

 

次第に仕事が苦痛で耐え切れなくなる

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ですが仕事ではパワハラを受けて、

精神的な苦痛にずっと耐え続けてました。

やがて派遣社員の抵触日が訪れました。

つまり派遣を続けられなくなったのです。

 

幸い仕事は課長や係長からは評価されており、

僕は派遣社員から契約社員になりました。

派遣だと3ヵ月の更新なので結局不安定でしたが、

契約社員になって安定を手に入れた気持ちでした。

 

しかし給料は大きく下がってしまいました。

手取り30万近くあったのが17、8万円程度です。

同じように100時間の残業をしても仕事の内容は同じなのに、

給料だけが下がってしまったのです。

 

僕がこの会社に入社したのは高い時給であり、

楽してまとまったお金が稼げるのが理由でした。

そしてそれ以外に何の魅力も感じてませんでした。

 

何も支えもなくなった僕は当然やる気が下がりました。

その代わりに怒りや不満が溜まっていきました。

 

「こんな安月給でこき使いやがって!」

 

仕事の内容も性格と合わず毎日イライラしていました。

心許せる人間は誰一人としておらず完全に孤立状態でした。

 

そしてこの部署ではパワハラも受けてました。

社内では孤立していて社員同士で罵り合っていたし、

見えない派閥もあって人間関係はピリピリしてました。

 

仕事も肉体的には楽でしたが、

実はミスすれば数十から数百万の損失が出るので、

ミスの許されない神経の張りつめる仕事でした。

 

機械で電子の基盤に部品を打ち込んでいくので、

初期設定にミスがあれば全て損失となります。

そんな仕事のなので皆気持ちがピリピリしており、

心に余裕がないので責任の押し付け合いが酷かったです。

 

僕はこの部署で3年耐えましたが、

精神的苦痛から契約社員の更新月に逃げてしまいました。

その時はもう辞める覚悟を決めていました。

 

その後会社から連絡があり、

部署異動の話が出たので応じました。

 

これはこの事件が起きる1年前から、

社内にパワハラなどの人間関係の相談窓口があったので、

パワハラのことで既に上司に相談していたことでした。

しかし当時相談していた係長から、

 

「お前の勘違い」

 

とシレ~っと言われて片付けられていたのです。

 

「コイツはあてにならないな・・・」

 

言われた瞬間にそう悟って、

 

「分かりました・・・」

 

と諦めたのを今でも覚えています。

この経験で分かったのですが会社の相談窓口は、

自分達を守る為の手段としてやってることでした。

 

会社はあくまで利益が優先で社員は二の次であり、

社員一人の代わりなんていくらでもいる訳です。

相談に乗りますなんて聞こえの良い言葉を載せて、

本当のところは自分の保身の為なのが実情です。

 

なので辞める覚悟で行動しなければ、

自分の希望は通してもらえないのが現状ですし、

会社は会社の都合しか考えてないんだなって、

この時の経験で痛感しました。

 

会社に頼らず自分の力で生きる道を選ぶ

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部署異動の念願は叶いましたが、

会社とはあくまでも利益が優先です。

確かに以前と比べてはマシにはなったのですが、

が精神的に楽になることはありませんでした。

 

ただ残業をするかしないかの選択は出来たので、

完全に生きの切れてしまった僕は毎日定時で帰りました。

夜勤も断り、苦手と感じる業務も断りました。

 

すると給料は手取りで10万3千円になりました。

残業をしないとこの程度しか稼ぐことができない。

 

毎日大切な1日を会社に提供しているのに、

小銭程度しか稼ぐことができない。

毎月の給料日に通帳に刻まれた金額を見る度に、

 

「人間をなめとんのか!」

 

とイライラしていました。

ですがその年の1月から僕は副業を始めていたのです。

 

なのでパワハラを受け続けた部署を、

辞める覚悟で抜け出す決意ができたのも、

残業を拒否して毎日定時で帰宅し続けられたのも、

副業をして副収入があったからこそでした。

 

そして部署異動をして1年間、

副業を始めてから1年3ヶ月、

遂に副業の収入が会社の給料を上回ったところで、

辞める決断をして独立することにしました。

これで7年間の地獄から抜け出すことが出来ました。

 

そんな僕も2020年で独立して5年が経ちました。

今でもこの生き方を選んだことに後悔はありません。

むしろあの時に変わらなかったら今頃どうなってたか?

想像するだけでも辛い現実なってただろうと思います。

 

このブログで伝えたいこと

7ドリーム

 

このブログでは僕のこれまでの経緯を、

詳しくありのままお伝えしていきます。

そして読んで頂いてるあなたの人生の、

 

何かしらのキッカケになれればと思っています。

 

長々と最後までお読み頂きありがとうございました。

長い時間お付き合い頂いたことを心から感謝しております。

順次僕自身の経緯を元にして記事を更新しておりますので、

ぜひ、新しい考え方を浸透してほしいと思います。

 

そして生き方を変えたいと望むなら、

その土台である仕事は何とかしなければいけない部分でもあります。

自分に向いてる仕事がわからない35歳までの適職の見つけ方では、

自分の才能や能力と適職の関係についてお伝えしてます。

この記事を読むことで自分の意外な可能性に気付くことができます。

 

あなたの人生が望む方向へと変われることを祈っています。

 

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